薬剤師が身近な疑問を本気で検証する~ 第4回 何故あの日、先生の事をお母さんと呼んでしまったのか!?~

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薬剤師 中溝肇(はじめちゃん)

薬剤師であり、フルマラソン愛好家でもあります。 健康と運動、そしてお薬の専門知識を活かし、皆様の健康とパフォーマンス向上をサポートします。 トレーニングや栄養に関するアドバイスも可能です。 お気軽にご相談ください。



こんにちは。管理薬剤師のはじめちゃんです。

「お母さん!」

子どもの頃に担任の先生をお母さんと呼んでしまう。そんな言い間違いをしたことはないだろうか・・・。私にはある。

言った瞬間に気づく。「やべっ、間違えた!」

先生も気づく。クラスメイトも気づく。

そして教室に笑いが起こる。

本人としては、笑っている場合ではない。

できれば今すぐ消しゴムになって、机の下に転がっていきたい・・・。

 

しかし、よく考えると不思議である。

「先生」と「お母さん」は、音も意味も違う。

それなのに、なぜ脳は「お母さん」を選んだのか。そこで調べてみた。

 

実は、私たちが言葉を話すとき、頭の中ではかなり複雑な作業が行われている。

まず、伝えたいことを考える。次に、それに合う言葉を選ぶ。その言葉を音に変換し、舌や唇、声帯を動かして発音する。さらに、自分が発した言葉を確認し、間違っていれば言い直す。

これらの処理は、普段ほとんど意識することなく、ものすごい速さで進んでいる。

つまり会話とは、

「考える」、「言葉を探す」、「候補を選ぶ」、「しゃべる」、「間違いがないか確認する」

という作業をほぼ瞬時に、自動的にこなす仕事なのである。

脳、こいつはかなりの働き者だ。

 

ところが、言葉を選ぶ過程は、国語辞典から正解を一つ取り出すような単純なものではない。

脳の中では、意味や場面に関連する複数の言葉が活性化し、その中から目的に合う言葉を選び出すと考えられている。

例えば「先生」と言おうとしたとき、頭の中には学校、教室、授業、注意される、褒められる、毎日会う大人、といった情報がつながっている。

「お母さん」にも、家、世話、注意、安心、毎日会う大人、生活など、さまざまな情報が結びついている。

もちろん、「先生」と「お母さん」は別の言葉だ。それでも、子どもの生活の中では、いくつかの意味的な特徴を共有している。

そのため、言葉を選ぶ過程で、意図した言葉とは別の候補が入り込むことがある。

子どもは、語彙を増やし、言葉同士の関係を学び、発話を確認して修正する力を発達させている途中にある。こうした発達段階も、言い間違いの起こりやすさに関係していると考えられる。

ただし、先生を「お母さん!」という言い間違いが、必ずこの仕組みで起こると決まっているわけではない。言葉の選択や発話の確認など、複数の要因が関係し得る。

 

そして、この手の言い間違いは子どもだけのものではない。

大人だって、普通に間違える。

友達の名前を別の友達の名前で呼ぶ。

「右」と言おうとして「左」と言う。

「醤油を取って」と言うつもりが、なぜか「ソース」と口に出る。

こうした言い間違いも、単に「うっかりしていた」で片づけられるものばかりではない。

大人の脳も、言葉を一つずつ独立して保管しているわけではない。言葉は意味や音、使われる場面、過去の経験などと結びついている。

 

例えば、家族の名前を呼ぼうとしたとき。頭の中では、その人の名前だけでなく、家族という関係や、普段一緒に過ごしている人たちの情報も関係している。似た場面でよく使う言葉や、同じカテゴリーに属する名前が、意図せず口に出てしまうことがある。

また、私たちは会話のたびに、頭の中で文章を完成させてから話しているわけではない。話す内容を考えながら、次に使う言葉を準備し、相手の反応にも注意を向けている。

つまり、脳は会話をしながら、いくつもの仕事を同時進行しているのだ。

そこに急いでいる、疲れている、別のことを考えている、といった条件が重なれば、言葉の選択や確認がうまくいかないこともある。

もちろん、すべての言い間違いが同じ仕組みで起こるわけではない。似た意味の言葉を取り違える場合もあれば、音が似ている言葉が混ざる場合もある。言いたいことは決まっているのに、別の言葉が先に出てしまうこともある。

脳は、言葉を正確に選びながら、会話の流れを止めないように働いている。

その処理が、ときどき追いつかない。

大人になったからといって、脳内の言葉選びが完全無欠になるわけではないのである。

 

そして、年齢を問わず多くの人が経験するのが、あの現象だ。

「あれ、あの人の名前、何だっけ?」

顔は分かる。

誰なのかも分かる。

どこで知り合ったのか、何をしている人なのかも、なんとなく分かる。

なのに、名前だけが出てこない。

「ほら、あの人! テレビにも出てたじゃん!」

「誰?」

「いや、だから、あの人!」

「名前は?」

「……それを今、探してるんです」

脳内では、必死の捜索活動が始まっている。

顔写真を確認。過去の会話を検索。共通の知人を照合。

しかし、肝心の名前だけが見つからない。

このように、思い出そうとしている言葉が分かっている感覚はあるのに、実際には取り出せない状態を、心理学や認知科学では「舌先現象」と呼ぶ。

英語では「tip-of-the-tongue phenomenon」。言葉が舌の先まで来ているのに、口から出てこない、という表現だ。略してTOTとも言う。何だが泣いてるみたいだ。

 

この現象は、必ずしも記憶そのものが失われたことを意味しない。人物についての知識はある程度思い出せているのに、対応する名前を言葉として取り出す過程でつまずいている場合がある。

では、なぜ人の名前は、こんなにも出てこないのだろう。

例えば「犬」という言葉なら、姿、鳴き声、しっぽ、散歩している風景など、さまざまな特徴と結びついている。

仮に「犬」という言葉がすぐに出てこなくても、「ワンワン鳴く動物」「散歩する動物」といった意味の手がかりから、言葉を探せるかもしれない。

ところが、「山田さん」という名前は違う。

名前そのものから、その人の顔や性格、職業が分かるわけではない。名前は、その人の顔や声、職場、一緒に過ごした記憶などと結びついているものの、名前そのものが人物の特徴を詳しく説明してくれるわけではないのだ。

つまり、その人について知っていることと、その人の名前を取り出せることは、同じ能力ではない。

顔を見れば誰だか分かる。どんな人だったかも思い出せる。それなのに、名前だけが出てこない。

そんなことが起こり得る。

 

舌先現象では、名前の一部や最初の音など、部分的な手がかりだけが浮かぶこともある。

「確か、最初が『た』だった気がする」

「いや、違う。『や』だったか?」

「そもそも、何文字だったっけ?」

正解に近づいているようで、遠ざかっているようでもある。

しかも、本人は「絶対に知っている」と感じている。

記憶はある。

名前もどこかにある。

ただ、今は取り出せない。

脳内検索システム、まさかのタイムアウトである。

舌先現象は若い人にも起こるが、研究では年齢とともに起こる頻度が増える傾向が報告されている。年齢を重ねると、知識を持っていても、そこから目的の言葉をすばやく取り出す処理が難しくなることがあると考えられている。

睡眠不足や疲労、緊張などが影響することもある。

だから、名前が出てこないからといって、すぐに記憶そのものが失われたと考える必要はない。

 

しかし、ここで少しだけ、立ち止まって考えてみたい。

私たちは「物忘れ」と聞くと、つい認知症を連想することがある。

けれど、名前が出てこないという経験は、健康な人にも起こる。

では、認知症を考えるときには、何を見ればよいのだろう。

大切なのは、間違えたかどうかだけではなく、以前と比べてどう変わったかという視点だ。

以前から人の名前が苦手だった。たまに「あれ」「それ」と言う。しばらくすると名前を思い出せる。日常生活にも特に変化がない。

そうした経験だけで、認知症を疑う必要はない。

一方、最近になって名前が出にくいことが明らかに増えた。人の名前だけでなく、身近な物の名前も出てこない。会話の途中で言葉が止まることが多くなった。さらに、言葉だけではなく、これまで普通にできていたことにも変化が出てきた。

そんな場合には、一度、医療機関に相談する意味がある。

アルツハイマー型認知症などでは、初期から人や物の名前を取り出しにくくなることがある。ただし、その現れ方や程度には個人差があり、名前が出にくいという一つの症状だけで認知症と判断することはできない。

 

また、健康な加齢による言葉の取り出しにくさと、認知症に伴う言語機能の変化は、必ずしも同じではない。認知症では、言葉の取り出しにくさに加えて、記憶、理解、判断、日常生活など、ほかの面にも変化がみられる場合がある。

もちろん、こうした違いは一度の会話だけで判断できるものではない。

つまり、見るべきなのは、

「今、名前が出てこなかった」

という一回の出来事だけではない。

「前はどうだったか」

「最近になって増えてきたのか」

「言葉以外にも変化があるのか」

ということなのだ。

 

子どもの言い間違いと、大人の名前の出にくさ。どちらも脳が言葉を処理する過程で起こる現象だが、同じものではない。

子どもには、言葉や発話を確認する力が発達の途中にあるという側面がある。

大人には、言葉を知っていても、必要なときにすぐ取り出せないことがある。

そして年齢を重ねたときには、その人にとっての「いつも」と比べてどうか、という視点が重要になる。

この考え方は、薬局で患者さんと話すときにもつながっている。

「この薬、何でしたっけ?」

それだけなら、何とも言えない。

薬の名前は難しい。

自分の薬の名前を全部覚えている人のほうが、ちょっとすごい。

だから薬剤師が見るのは、一回の言い間違いではない。

以前は薬の名前をすぐに言えていた人なのか。

最近になって、いつもの薬について確認することが増えたのか。

薬の話だけでなく、会話全体に変化がないか。

そして、本人や家族が何か変化を感じているか。

いつもの会話。

いつもの薬。

いつもの患者さん。

その「いつも」の中に、少し違うものが混じったときに気づけるかどうか。

 

もちろん、薬剤師だって間違える。

薬の名前を言おうとして、別の薬の名前が混ざることもある。

そんなときは、落ち着いて言い直す。必要なら患者さんと一緒に確認する。

間違えないことだけが大切なのではない。間違いに気づき、確認し、正しく伝え直すことも大切なのだ。

人間の脳は、思っているほど完璧ではない。

子どもは「先生」を「お母さん」と言ってしまう。

大人は友達の名前を取り違える。

年齢を重ねれば、知っている人の名前がすぐに出てこないこともある。

脳は毎日、膨大な情報の中から必要な言葉を探している。

そりゃ、ときどき検索結果を間違える。

だから、ちょっとした言い間違いや物忘れを、必要以上に怖がることはない。

ただ、以前とは違う変化が続いているなら、少し立ち止まってみる。自分のことでも、家族のことでも。

脳の変化は、本人がいちばん先に気づくとは限らないからだ。

そもそも、自分の脳が今どれくらい正常に働いているか、私たちはどうやって確認すればいいのだろう。

 

脳に「本日の記憶力は正常です」と表示するメーターがあるわけでもない。

そう考えると、なかなか不便な臓器である。

せめてスマホのように、定期的にアップデートして性能を改善してくれたらいいのに。

「記憶力を改善しました」

「固有名詞の検索精度を向上しました」

「先ほど何をしようとしていたか、忘れにくくなりました」

そんな更新内容なら、喜んでインストールしたい。

……ちなみに私は、今朝、家を出る直前にスマホを探した。

手に持っていた。

脳の不具合かどうかは分からない。

少なくとも、スマホの不具合ではなかった。

やはり、脳にもアップデートが必要なのかもしれない。

ただし、更新の途中で、

「更新を完了するには、再起動が必要です」

と表示されたら困る。

再起動したあと、自分が何をしていたのか忘れてしまいそうだから。